大槻ケンヂが自由度の高い新プロジェクト“通称オケミス”を始動 朗読に読み聞かせも?/インタビュー前編

大槻ケンヂミステリ文庫/12月5日に1stアルバム『アウトサイダー・アート』をリリース


もしかして構想30年近く? 大槻ケンヂが満を持してスタートさせたソロプロジェクト“大槻ケンヂミステリ文庫”は、ファンキーでジャジーでブルージーがスタイルのキーワード。その心地いい横ノリのダンサブルなトラックに乗せられたのは、ちょっと斜めに世相を見てみたり、ちょっとジョークを交えた視点で捉えた憂いだったり、ちょっとした毒っ気もスパイスになった気持ち……の数々。
それがあるときはポエトリーリーディングにされながらダンディーに語られ歌われていく。“オケミス”でしか伝わってこない大槻ケンヂが随所に表れた、聴き逃せないアルバムだ。
(取材・文/前原雅子)

歌と語りの中間のようなことをやりたいとずっと思っていた

──“大槻ケンヂミステリ文庫”という名前がまず目を引きますね。

大槻:そもそもは長年温めてきた、ファンキーでジャジーでブルージーなスタイルで、ポエトリーリーディングもあるものをやりたいって思ったんです。

──ミステリーはお好きなんですか?

大槻:それがそんなに読んだことがなくて(笑)。レイモンド・チャンドラーなんかも昔は読んだんですよ。でもね、読むのが早すぎた。早熟な子どもだったので、小学校高学年とか中1くらいで読んじゃったもんだから、そりゃわかるわけないっていう。そのあと僕はSFに移行しちゃったので、ミステリーとかハードボイルドを読んだのは小中学校のときだけなんですよ。

──小学生にハードボイルドは早いかもしれないですね。

大槻:でしょ(笑)。読書少年だったから。
本屋さんに行っては文庫の棚のとこにいたんです、文庫ならお小遣いで買えるかもしれないから。10代の頃も「自分が何者かわからない」っていう気持ちを抱えて、しょっちゅう自転車で名画座巡りと古本屋巡りをしてた。古本屋でも文庫の棚のところに立って、いつかこの棚に自分の名前が入ったらいいなと思っていたんですね。そこから大槻ケンヂミステリ文庫、略してオケミスっていう名前が出てきて。ただ、そう名乗っておいてミステリーを読んでいないのもアレだから、今からいろいろ読み直そうと思って。昔、文庫の棚で見てタイトルを覚えていたスウェーデンの警察小説シリーズ「刑事マルティン・ベック」を3冊くらい読んだところ(笑)。

──ファンキーでブルージーでジャジーなスタイルでやってみたいという気持ちは、かなり前からあったのですか?

大槻:ありました。ムッシュかまやつさんの「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」や、左とん平さんの「とん平のヘイ・ユー・ブルース」や、「スタートレック」でカーク船長を演じたウィリアム・シャトナーのアルバム『ハズ・ビーン』みたいな、歌と語りの中間のようなことをやりたいとずっと思っていたんですね。

──これまでに始めようと思ったことはなかった?

大槻:なかなかタイミングがねぇ。今、メインでやっている筋肉少女帯はいわゆるラウドロックだし、ソロでやるときも基本はパンキッシュなものやラウドなものを求められているのがわかるし、僕にもそういう部分があるので、そういった感じのことをやってきたんですけれども。メジャーデビュー30周年というこのタイミングで何か作りたいと考えたとき、「あ!」と思ったんです。時が来たなって。
お客さんがライブで立っても座っても楽しめる、そういう音楽ジャンルでいきたいなと。

──トラックとポエトリーリーディングとボーカルのバランスがとてもいいですね。

大槻:こういうちょっとファンキーな演奏に乗せて歌詞を語り歌うスタイルの最初は、35年くらい前に出した筋肉少女帯のレコードに入ってる「いくぢなし」でも試みているんです。その後も特撮の「企画物AVの女」や筋肉少女帯の「高円寺心中」とかでも。そのスタイルのルーツは、おそらくダウン・タウン・ブギウギ・バンドの「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」。最初に聴いたのは小3か小4で、友達のお父さんの車に友達3人と乗せてもらっていたときにラジオから流れてきて。もぉ~~のすごいインパクトだったんです。ダンサブルなビートに乗せて「一寸前なら憶えちゃいるが」って、なんともすごい歌詞を歌って、決めセリフがあって。なんだこの曲は!って思いましたよね。

──以前、ダンサブルな音楽は好きだっておっしゃってましたよね。

大槻:そう、ファンクが好きなんですよ。でもジェームス・ブラウン系のパキパキ、カクカクしたファンクじゃなくて。
それをいったん黒人以外の人たちが取り込んで作ったような音楽が大好きだし、やりたかったんです。ただ僕がデビューした頃はバンドの横ノリはありえないっていう時代で。横ノリは久保田利伸さんとかであって、バンドは縦ノリっていう風潮だった。そのあとR&Bやダンサブルなものが浸透して、みんな踊れるようになったでしょ。そのあたりからそろそろファンキーでダンサブルなものをやってもいい頃かなって思うようになったんです。

大槻ケンヂが自由度の高い新プロジェクト“通称オケミス”を始動 朗読に読み聞かせも?/インタビュー前編


──楽曲制作はオワリカラと高橋竜さんと一緒に。

大槻:そうです。楽曲及びアレンジをお願いしました。最初に「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」「とん平のヘイ・ユー・ブルース」「企画物AVの女」を、オワリカラと高橋橋竜さんに渡して。あと「セルジュ・ゲンズブールの晩年のライブ映像を観といてね」「ウィリアム・シャトナーの『ハズ・ビーン』っていうアルバムを聴いといてね」って言いました。それでわかってくれるだろうと。

──そしてライブレコーディングをしてアルバムを作って。


大槻:吉祥寺のSTAR PINE'S CAFEというライブハウスで、大槻ケンヂwithオワリカラ、大槻ケンヂwith高橋竜ユニットで、2デイズのライブをしまして。基本はライブレコーディングなんだけども、最新のテクノロジーでいろいろ修正しているので。高橋竜ユニットのほうはまだライブっぽいけど、オワリカラのほうは、もうほとんどスタジオ新録と言っても過言ではないようになってますね。オワリカラとのライブではタカハシヒョウリ君しかギタリストはいなかったけど、ギターを重ねてツインギターになっている曲も多いし。ライブではタンバリンはなかったのが、ずっと鳴っている曲があったり。

──ライブレコーディングならではのお客さんの歓声などは、最後の1曲以外入っていないですもんね。

大槻:ないですね、そういうアルバムではないので。お客さんにも「曲が終わりました」とか「以上です」と僕が合図をするまでは「一切拍手をしないでください」ってライブをやったので。

──でもライブレコーディングをしたかった。

大槻:理由の一つは、僕がスタジオ作業が好きじゃないから。インディーズの頃を入れると40何年、いまだ好きになれなくて。おそらく僕はライブミュージシャンなんだと思うんですよね。
お客さんの前で演じないと、音楽をやることに高揚感をもうひとつ得られないというか。そもそも僕は自分をミュージシャンではないと思っているので。

──だったら、自分に肩書きをつけるとしたら?

大槻:オーケンっていうジャンルですかね(笑)。僕が若い頃にはインターネットがなかったので、自分を表現する迅速な手段としては、ロックバンドを組んでライブハウスに出るっていうことだったんです。そのためにはバンドを組まなくてはいけないし、バンドを組んだら音楽らしいものをやらなくてはいけない。でも僕は楽器ができないのでボーカルをやることになって、ボーカリストという意識が全然ないまま、気がついたらデビュー30年になっちゃってた。

──今もボーカリストの意識はないですか?

大槻:ないですね。アニソンの現場なんかに行くと、“ピッチ感超絶”っていう人がたくさんいて、そういう方々を見てしまうと、俺はボーカリストじゃないなって身に染みる(笑)。もう自分を表現したいという意欲だけで便宜的に歌を始めたので、だから僕はいまだに自分の正体がわからないです。というか自分の人生そのものの意味目的がわからないんですよ、ずっと。だから自分は何をすべき人間かって、デビュー30年経って、まだ考えているんですね。そういう思いが『アウトサイダー・アート』の歌詞になっていると思います。


――【インタビュー後編】大槻ケンヂミステリ文庫 「アルバムの主人公は相当やさぐれているんだな」
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