■わずか50人の精鋭部隊

池波正太郎の『鬼平犯科帳』には、大河ドラマ『べらぼう』にも登場する長谷川平蔵の右腕である筆頭与力の佐嶋忠助、うさぎ饅頭に似ていることから「兎忠」と呼ばれる同心の木村忠吾のほか、勘定方同心の川村弥助のような事務方も登場します。

では、実際の火付盗賊改の組織はどのようなものだったのでしょうか。


『徳川禁令考』には、寛政7年(1795)から一年間の組織構成が掲載されています。この一年間というのは、長谷川平蔵の次に火付盗賊改の長となった森山源五郎の時代です。

これによると、火盗改は与力10騎と同心4人の合計50人。なんと、全部で50人しかいなかったのです。

江戸時代、わずか50人で江戸の犯罪を取り締まった「火付盗賊改...の画像はこちら >>


で、彼らにはそれぞれ細かく役割分担がありました。

まず江戸市中を巡回し、犯人の捜査・逮捕にあたったのが、召捕方廻方与力7騎手付同心7人です。現代の私たちがイメージする、いわゆるお巡りさんですね。

残り3騎の与力は役所詰与力で、召捕方廻方が捕らえてきた犯人の吟味をしました。

6人いる届廻同心は、御側衆、老中、若年寄そしての邸宅を分担して巡回しました。パトロール人員ですね。ちなみに御側衆とは、将軍に近侍し、老中退出後の事務処理を行った役職のことです。

■出張も事務作業もあった

また、証人や参考人の呼び出しにあたるのが、差紙使同心として9人います。
ちなみに、差紙とは召喚状のことです。

長官の秘書役となるのが頭付同心3人で、出火場所の視察や市中の巡回にも同行しました。

主な活動範囲は江戸市中ですが、必要な場合は与力・同心を関東、東海、北陸、東北方面に派遣して捜査を行わせた例もあります。出張捜査もあったわけです。

『鬼平犯科帳』の「鯉肝のお里」でも捜査のために同心・沢田小平次が上州(群馬県)に派遣されるなど、たびたび地方出張が描かれていますが、あれは実際にありえた話なのです。

江戸時代、わずか50人で江戸の犯罪を取り締まった「火付盗賊改」はどんな組織構成だったのか?


そして、犯人の供述記録や書類作成を行う事務方となるのが書役同心で、これは9人いました。ちゃんと事務員さんもいたんですね。

事務方の同心はこのほかにもおり、犯人の所持品や没収となった家屋の家財の処分、雑物と呼ばれる盗品の処理などを行う雑物懸同心2人、溜勘定懸同心1人という構成でした。

ちなみに、溜勘定懸同心の「溜」とは、病気になった囚人の収容施設のことです。溜勘定懸同心は、この「溜」に預けた囚人の食費などの会計業務を行いました。

■フォロー体制も意外ときちんとしていた

まだまだいます。病気や事故などで休んだ同心の事務を代行する浮役同心が2人いました。


ちゃんと休んだ人をフォローする体制もできているあたり、意外と現代の会社組織よりも危機管理体勢が整っていると言えるかも知れませんね。

『鬼平犯科帳』では、同心たちが宿直するシーンがたびたび描かれていますが、実際に書役同心4人、差紙使同心4人、頭付同心2人の100人が交代で宿直にあたりました。

火盗改の官舎ができたのは慶応元年(1865)のことで、役宅を使ったのは最後の長官である戸田与左衛門のみです。

それまでは自らの屋敷に、訴所やその控え所である内腰掛、犯罪者の吟味・裁定を行う白洲や仮牢、拷問道具を揃えた取り調べ施設などを設けていました。

こうした組織構成を、現代の警察組織と比較してみたら面白そうですね。

参考資料:縄田一男・菅野俊輔監修『鬼平と梅安が見た江戸の闇社会』2023年、宝島社新書画像:photoAC,Wikipedia

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